伝説崩壊、『Firefox』は今(『Mozilla』自身の手で)滅ぼされた。
それを、かつて我々が知っていた『Firefox』と同じものであるとは、信じたく無い。 どう見ても、長年火花を散らして来た宿敵の”猿真似”。 自らの強さの源を自らの手でいとも容易く投げ捨てる”自殺行為”。 世界中から木霊する怨嗟の声にすら耳を傾けようとせず、ただ”自己満足”に酔いしれるばかりの、極少数の人間。 そこに、かつて、あの『Internet Explorer』を絶対王者の座から引きずり下ろした時代の威厳は、欠片程も感じられない。
かつて、『Mozilla』は本来その存在理由であった筈の、自らの名を冠するインターネットスイートを捨ててまで、『Firefox』を21世紀のブラウザに相応しい存在に育て上げる為に心血を注いだ。 そして、そこにはその力を引き出す拡張機能を生み出す多くの開発者と、それらによって自分だけのツールに育て上げ、そしてこよなく愛する多くのユーザーが居た。 やがて、長きに渡って続いた『Internet Explorer』によるブラウザの絶対王政時代は終焉を迎え、Web の新時代到来の中、『Mozilla』の代名詞はいつしか『Firefox』に取って代わられるに至った。
しかし、時は流れ、そこにあったのは、同じ様に『Firefox』を名乗りながら、かつてのそれとは到底かけ離れた”何か”であった。 時の流れはあらゆるものに”進化”をもたらし、また”進化”を求める。日進月歩と云われるインターネットの世界ともなれば、尚更である。 だが、今の『Firefox』のそれを、本当に”進化”と呼んで良いものであろうか。私は「否」と答える。 そこには、『Firefox』としての”オンリーワン”も、オープンである必要性も見出す事は出来ず、”自由”も最早鳥籠の中の縛られた”自由”でしかなく、それはただブランドとエンジンが違う”だけ”の劣化『Chrome』に過ぎない。
”進化”とは、それまで築いて来たものを全否定し過去を投げ捨てる事でも、自身との親和性も考えず闇雲にリスペクトを繰り返す事でも、周りに否応無く変化を強いる事でも無い筈だ。 だが、今『Mozilla』上層部の人間は、”進化”とはそう云うものなのだと完全に勘違いし、そしてそれを開発者やウェブデザイナー、利用者の声にも一切耳を貸す事無く、ただ粛々と推し進めている。 ラピッドリリースの強行で置き去りにされて逝くバグの数々、『Australis』をはじめ相次ぐUIの改悪、アドオンの強制的な管理による自由とアイデンティティの否定、パフォーマンスの為に安定性や互換性を投げ捨てる『Electrolysis』、ブラウザ自体はもちろんアドオンや多数のソフトの根幹をなす『XUL』の斬り捨てと『WebExtensions』への傾倒、挙句の果てにはブラウザの要であり長い歴史を持つ『Gecko』エンジンさえもいとも容易く過去のものにしようとしている―――。 自分たちの中での”理想のブラウザ”の形、多くのリスペクトを交えて黒歴史ノートに描いた”モダン・ブラウザ”を、これからの時代に求められる速さとインタラクティブとセキュリティの為、そして”真に求められるユーザー体験”と”真にあるべき Web の姿”を実現する為であると嘯き、ただ押し付けているに過ぎない。 そして、その事実に、”理想のブラウザ”・”真に求められるユーザー体験”・”真にあるべき Web の姿”と云う名の自己満足に酔いしれる彼らが気付いている様子は、微塵も見えない。
そのあまりの変貌ぶりに、長年それを支えてきた開発者も、熱心なファン達も、更には『Mozilla』から恩恵を受けていた幾つものプロジェクトも、次々と絶望し、そして離れていった。 或る者は、今の『Firefox』のUIを押し付ける事に難色を示し、古き良き時代のそれに近いカスタマイズを施し、ユーザーに選択の余地を残した。 或る者は、変貌した今の『Mozilla』が示す”未来”と訣別し、独自のコードベースで「真の正当進化」の形を模索する道を選んだ。 或る者は、あまりに変わり果てた『Firefox』そして『Mozilla』の惨状に絶望し、『Firefox』に別れを告げ、宿敵の軍門に下った。 果てに、『Mozilla』内部でも次々と有力者たちが去って行き、内部崩壊の兆しを見せている。
予兆は確かにあった。2011年の事だ。 Firefox 4 が漸く完成に向かっていた矢先、何の前触れも無く唐突に浮かび上がったラピッドリリースの計画。 8週でも、12週でも無く、あくまで6週サイクルでメジャーバージョンアップし、それ以前のメジャーバージョンのサポートを打ち切ると云う、何処をどう見ても、どう言い訳しても『Chrome』の猿真似として取られかねない方策。 厳密に対応するブラウザのバージョンが決まっており、メジャーバージョンが上がればそれに合わせて更新が必要なルールであった、アドオンの仕組みを顧みず、その対応も後手後手になった。 さらに、最初のラピッドリリース対象版である Firefox 5 のリリースと同時に、最後の非ラピッドリリース版となる筈だった Firefox 4 系が脆弱性を残したまま、事前予告無く、後付でラピッドリリース対象にされ斬り捨てられた。 そして追い打ちをかけるかの如く、これらの対応に対する企業ユーザーからのクレームに対し、あろうことか『Mozilla』の主要人物が、何の回答にもならない処か火に油を注ぐ問題発言でこれを一笑に付した事で、企業だけで無く、一般ユーザーからも『Mozilla』を視る目に疑念と不信が満ちる事になった。
結局、この後『Mozilla』は火消しに追われる事になるのだが、この時期から既に『Mozilla』はおかしくなり始めていたのかも知れない。 一度失った信用は簡単には取り戻せず、それ処か『Firefox』と『Mozilla』は次第に迷走して逝く事になる。 次々と発覚するバグフィックスの後回し。 HTML5 への対応度を上げる為ならば後方互換性も顧みない仕様変更の数々。 利用者やアドオン開発者を置き去りにして繰り返されていくライバルたちの猿真似。 『SeaMonkey』をはじめ、度重なる『Mozilla』の方針変更に振り回され、疲弊して逝くサードパーティーのプロジェクト達。 そして、組織を維持する為なら商売敵にさえ媚を売る一方で、自らの発言に責任さえ持とうとしない姿勢。 これは本当に、開発者が、Web デザイナーが、恩恵を受けていたプロジェクトが、そして全てのユーザーが望んでいたものだったのだろうか―――?
どうあがいても、絶望―――とは、考えたく無い。まだ、挽回のチャンスは有ると、そう信じたい。 『Mozilla』は今こそ、立ち止まり、振り返るべき時なのだ。 現実を見つめ直し、耳を澄まして、真摯な気持ちで、今一度向き合おうではないか。 今なら、まだ、間に合う。 そう信じる人間が、この世界から、誰も居なくなる前に。 自ら育てた『Firefox』に、今度こそ完全に止めを刺すと云う、最期の愚行を犯す前に。 そして、『Mozilla』というブランドと、それがもたらした数々の功績が、深き永劫の闇の彼方へ消え去る前に―――。
2016年が、『Firefox』そして『Mozilla』にとっての”GAME\(^o^)/OVER”の年にならない事を、今はただ、祈るしか無い。 残された時間は、もう、長くは無い―――。
[b]伝説崩壊、『Firefox』は今(『Mozilla』自身の手で)滅ぼされた[/b]。
それを、かつて我々が知っていた『Firefox』と同じものであるとは、信じたく無い。 どう見ても、長年火花を散らして来た宿敵の”[u]猿真似[/u]”。 自らの強さの源を自らの手でいとも容易く投げ捨てる”[u]自殺行為[/u]”。 世界中から木霊する怨嗟の声にすら耳を傾けようとせず、ただ”[u]自己満足[/u]”に酔いしれるばかりの、極少数の人間。 そこに、かつて、あの『Internet Explorer』を絶対王者の座から引きずり下ろした時代の威厳は、欠片程も感じられない。
かつて、『Mozilla』は本来その存在理由であった筈の、自らの名を冠するインターネットスイートを捨ててまで、[b]『Firefox』を21世紀のブラウザに相応しい存在に育て上げる[/b]為に心血を注いだ。 そして、そこには[b]その力を引き出す拡張機能を生み出す多くの開発者[/b]と、[b]それらによって自分だけのツールに育て上げ、そしてこよなく愛する多くのユーザー[/b]が居た。 やがて、長きに渡って続いた『Internet Explorer』によるブラウザの絶対王政時代は終焉を迎え、Web の新時代到来の中、[b]『Mozilla』の代名詞はいつしか『Firefox』に取って代わられるに至った[/b]。
しかし、時は流れ、そこにあったのは、同じ様に『Firefox』を名乗りながら、[b]かつてのそれとは到底かけ離れた”何か”[/b]であった。 時の流れはあらゆるものに”[u]進化[/u]”をもたらし、また”[u]進化[/u]”を求める。日進月歩と云われるインターネットの世界ともなれば、尚更である。 だが、[u]今の『Firefox』のそれを、本当に”進化”と呼んで良いものであろうか[/u]。[b]私は「否」と答える[/b]。 そこには、[u]『Firefox』としての”オンリーワン”[/u]も、[u]オープンである必要性[/u]も見出す事は出来ず、”自由”も最早[u]鳥籠の中の縛られた”自由”[/u]でしかなく、それはただ[b]ブランドとエンジンが違う”だけ”の劣化『Chrome』[/b]に過ぎない。
”進化”とは、[u]それまで築いて来たものを全否定し過去を投げ捨てる[/u]事でも、自身との親和性も考えず[u]闇雲にリスペクトを繰り返す[/u]事でも、周りに[u]否応無く変化を強いる[/u]事でも無い筈だ。 だが、今『Mozilla』上層部の人間は、[u]”進化”とはそう云うものなのだ[/u]と完全に勘違いし、そしてそれを[b]開発者やウェブデザイナー、利用者の声にも一切耳を貸す事無く、ただ粛々と推し進めている[/b]。 ラピッドリリースの強行で置き去りにされて逝くバグの数々、『Australis』をはじめ相次ぐUIの改悪、アドオンの強制的な管理による自由とアイデンティティの否定、パフォーマンスの為に安定性や互換性を投げ捨てる『Electrolysis』、ブラウザ自体はもちろんアドオンや多数のソフトの根幹をなす『XUL』の斬り捨てと『WebExtensions』への傾倒、挙句の果てにはブラウザの要であり長い歴史を持つ『Gecko』エンジンさえもいとも容易く過去のものにしようとしている―――。 自分たちの中での”[u]理想のブラウザ[/u]”の形、多くのリスペクトを交えて黒歴史ノートに描いた”[u]モダン・ブラウザ[/u]”を、これからの時代に求められる速さとインタラクティブとセキュリティの為、そして”[u]真に求められるユーザー体験[/u]”と”[u]真にあるべき Web の姿[/u]”を実現する為であると嘯き、ただ押し付けているに過ぎない。 そして、その事実に、”理想のブラウザ”・”真に求められるユーザー体験”・”真にあるべき Web の姿”と云う名の[b]自己満足に酔いしれる彼らが気付いている様子は、微塵も見えない[/b]。
そのあまりの変貌ぶりに、長年それを支えてきた開発者も、熱心なファン達も、更には『Mozilla』から恩恵を受けていた幾つものプロジェクトも、次々と絶望し、そして離れていった。 或る者は、今の『Firefox』のUIを押し付ける事に難色を示し、古き良き時代のそれに近いカスタマイズを施し、ユーザーに選択の余地を残した。 或る者は、変貌した今の『Mozilla』が示す”未来”と訣別し、独自のコードベースで「真の正当進化」の形を模索する道を選んだ。 或る者は、あまりに変わり果てた『Firefox』そして『Mozilla』の惨状に絶望し、『Firefox』に別れを告げ、宿敵の軍門に下った。 果てに、『Mozilla』内部でも次々と有力者たちが去って行き、内部崩壊の兆しを見せている。
予兆は確かにあった。2011年の事だ。 Firefox 4 が漸く完成に向かっていた矢先、何の前触れも無く[b]唐突に浮かび上がったラピッドリリースの計画[/b]。 8週でも、12週でも無く、あくまで[b]6週サイクルでメジャーバージョンアップし、それ以前のメジャーバージョンのサポートを打ち切る[/b]と云う、何処をどう見ても、どう言い訳しても[b]『Chrome』の猿真似[/b]として取られかねない方策。 [u]厳密に対応するブラウザのバージョンが決まっており、メジャーバージョンが上がればそれに合わせて更新が必要なルール[/u]であった、[b]アドオンの仕組みを顧みず、その対応も後手後手になった[/b]。 さらに、最初のラピッドリリース対象版である Firefox 5 のリリースと同時に、最後の非ラピッドリリース版となる筈だった [b]Firefox 4 系が脆弱性を残したまま、事前予告無く、後付でラピッドリリース対象にされ斬り捨てられた[/b]。 そして追い打ちをかけるかの如く、これらの対応に対する企業ユーザーからのクレームに対し、あろうことか『Mozilla』の主要人物が、[b]何の回答にもならない処か火に油を注ぐ問題発言でこれを一笑に付した[/b]事で、企業だけで無く、一般ユーザーからも[b]『Mozilla』を視る目に疑念と不信が満ちる事になった[/b]。
結局、この後『Mozilla』は火消しに追われる事になるのだが、この時期から既に『Mozilla』はおかしくなり始めていたのかも知れない。 一度失った信用は簡単には取り戻せず、それ処か『Firefox』と『Mozilla』は次第に迷走して逝く事になる。 次々と発覚する[u]バグフィックスの後回し[/u]。 HTML5 への対応度を上げる為ならば[u]後方互換性も顧みない仕様変更[/u]の数々。 利用者やアドオン開発者を置き去りにして[u]繰り返されていくライバルたちの猿真似[/u]。 『SeaMonkey』をはじめ、度重なる[u]『Mozilla』の方針変更に振り回され、疲弊して逝くサードパーティーのプロジェクト達[/u]。 そして、組織を維持する為なら[u]商売敵にさえ媚を売る[/u]一方で、[u]自らの発言に責任さえ持とうとしない[/u]姿勢。 これは本当に、[b]開発者が、Web デザイナーが、恩恵を受けていたプロジェクトが、そして全てのユーザーが望んでいたものだったのだろうか―――?[/b]
[b]どうあがいても、絶望[/b]―――とは、考えたく無い。まだ、[b]挽回のチャンスは有ると、そう信じたい[/b]。 [b]『Mozilla』は今こそ、立ち止まり、振り返るべき時なのだ[/b]。 [b]現実を見つめ直し、耳を澄まして、真摯な気持ちで、今一度向き合おうではないか[/b]。 [b]今なら、まだ、間に合う[/b]。 [b]そう信じる人間が、この世界から、誰も居なくなる前に[/b]。 [b]自ら育てた『Firefox』に、今度こそ完全に止めを刺すと云う、最期の愚行を犯す前に[/b]。 そして、[b]『Mozilla』というブランドと、それがもたらした数々の功績が、深き永劫の闇の彼方へ消え去る前に[/b]―――。
2016年が、『Firefox』そして『Mozilla』にとっての”[b]GAME\(^o^)/OVER[/b]”の年にならない事を、今はただ、祈るしか無い。 [b]残された時間は、もう、長くは無い[/b]―――。
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